今夜の一冊『動的平衡〜生命はなぜそこに宿るのか〜/福岡伸一』
マスター:高橋トオル
大好きな本とお酒を勝手に楽しもう会「つばめのブックバー」の第二回。 お題本は、「動的平衡〜生命はなぜそこに宿るのか〜」。始まりは、つばめの学校の仮想校長・深海ひろちゃんの推薦。ひろちゃん校長は何かにハマるとその話ばかりする。そして周りはまんまとその沼に落ちていくのである。そんな沼のほとりにて、ほろ酔いで開いた本「動的平衡」とは生命のお話。変わらないために変わり続ける仕組みが生命の存在ととく。沼は遠くから見ると沼として留まっていたが、近づくと、沼であるために蒸発と流入が同時に進行していた。さらに近づき、沼を覗き込むとき、そこでは『生命とは環境の一時的な淀み』という言葉がこちらを見ていた。のは、僕の見え方。では、カウンターに同席した君の目は、どんな言葉を見つめただろうか。君が(僕が)本を開く風圧は、一時、霞目には涙を誘うけど、それは同時に埃が払われキラ眼が現れる始まりである。だけど、やっぱりほろ酔いだし、見つめ合ってたはずの君の目が、ずっと沼のほとりであることには変わりない。
(ツムジグラフィカ 高橋トオル)
私たちは立ち止まっているように思えても、時間というゆったりとしたエスカレーターに乗っている。 ただだまっているように見えても、雄弁に沈黙している。 そのままありつづける、ということは幻想に過ぎない。 つねに変わっているし、変わりながら、変わらない佇まいを保っている。 では「思考」についてはどうだろうか? つねに考え(つづけ)るというスタイルがもっと定着してもいいのではないだろうか? そして時折、(あえてマインドフルネス的に)ぼーっとしてみる。 つねに考えることが習慣化しないと、手近な結論(答えらしきもの)に手を出してしまいやすい。(そしてそれは避けるべきだと考える) だから「つばめの学校」は、ひとつの答えを定めることなく(答えを出すことを目的にするのではなく)考え続けること(答えに向かうときの道筋)を大切にしていきたいとあらためて思った。 そしてそれが「哲学対話」というひたすらに問いを連ねていく手法との相性のよさを再確認することにもなった。 最後に福岡伸一の『動的平衡』についての高橋トオル氏のプレゼンはとてもわかりやすく、且つ知的だったことをここに書き添えてペンを置きたい。
(ツバメコーヒー店主 田中辰幸)
ユクスキュル(ドイツの生物学者)が、環世界という生物学の概念を提唱している。ということを、今回のお題本である動的平衡の中で知り、同時期に手にとっていた、國分功一郎さんの本にも書かれていた。その環世界とは、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、普遍的な時間や空間もそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。と、いうことらしい。 私たち人間も種こそ同じものの、住んでいる地域、職業など細かな事をあげだしたら、それぞれ特有の世界に生きているとも言える。 そんな違って当然の人々が同じ一冊の本を手に、つばめのブックバーに集う。 私は、開催を楽しみにしていたし、会が開かれている時も楽しんでいた。それが自分だけそうだったらどうしようと思う時もあった。しかし、参加者の皆さんが、楽しかったと言って下さったのを聞いて、嬉しかった。 環世界という概念を知ったことで、つばめのブックバーで感じていた楽しさはなんだったのか?を考えた時、勝手な解釈とは思うがうまく説明がついたように思う。 人と人は違うからこそ、同じものに興味を持つ人と出会った時に喜びを感じるのかなと。 マスターを務めて下さったトオルさん、美味しいお酒を提供して下さったBarBookBox淳子さん、会場を提供して下さったツバメコーヒーさん、ご参加していただいた皆さん、本当にありがとうございました。
(つばめの学校 深海寛子)