講師:関谷 浩史さん
1964年東京都品川区生まれ
新潟県立大学准教授 博士(工学) 一級建築士 公益社団法人新潟自治研究センター理事
【職歴】
慶応義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程単位修得退学
鹿島建設、A/E総事業本部、慶応義塾大学環境情報学部助手、同専任講師、凸版印刷株式会社経営企画本部、県立新潟女子短期大学准教授等を経て、現職。
【活動実績】
2012年〜2015年 古町六番町に学生サロン『meme』を運営
2015年5月〜 胎内市総合計画策定審議会座長
2017年5月 中央区天明町に空き家を改修した実験拠点『T-Base』を開設
【受賞歴】
セントラルガラス主催「リニアモーターカーの駅舎」佳作
建築士会主催「インテリジェントファクトリー」三位
東京建築士会主催「多世代交流センター」佳作
「慶応義塾大学SFCデザインスタジオ棟」American Wood Design
西欧と日本の自然観、宗教観の違いから始まって病弱だった少年時代、どぶ川の記憶、転居による再生、学生時代の葛藤、恩師との決定的な出会い、スーパーゼネコンで取り組んだ最先端プロジェクト、建築から情報へ、ソニー本社など次世代型ハイパービルの企画、順風から大どんでん返しへ、挫折とうつ病の危機、足元のフロンティアへの気づき、新潟への転進、研究者としての再生、そして今日へ、まさに波乱万丈、同じ建築を志したに人間として感ずるところも多く、人生のダイナミズムに感服、スピード感あふれるお話に圧倒されました。土地の記憶・古地図に学べ、賢い衰退、危機をチャンスへ、1:99、5:95の法則などのキーワードも満載でした。哲学対話では今年卒業する学生からの「ふるさとって何だろう」という問いかけがとても新鮮、今後も皆さんと議論を深めていきたい。時間も大幅延長、まさに白熱教室、とても刺激的な夜でした。
(渡辺スクールコーディネーター 渡辺斉)
高層建築や大都市の環境デザインに携わってきた関谷さんの業績と持論、そしてキャリアや人生と向き合う中での「賢い衰退(smart decline)」のお話を伺い、人と建築と都市の本質的な結びつきについて考えさせられた。それらは、存在し、創造し、住まうことの弁証法的な関係にある。人と建築と都市は相互に影響し合いながら変化し、互いを新たに生み出してゆく。人が自ら住みよい建築や都市を実現してゆく一方で、人のもつ際限ない欲望を満たす建築や都市が人の自律的制御を喪失させもする。新潟という地方都市で、つばめの学校@ツバメコーヒーというこのひとつの小さな自律的学びの場で、〈巨大なもの〉について反省的に考えられたことは大きい。
哲学対話では、「人間はどこまで機械と共存できるのか?」という問いから出発して、「共存する必要はある?」「そもそも共存とは?」「人間にも機械みたいな面があるのでは?」「機械は〈いいこと〉をするのか?」――といったさらなる問いへと展開した。講演と哲学対話のコラボレーションの意味と可能性を、今後もさらに引きだしていければと思う。
(新潟大学人文学部准教授 阿部ふく子)
関谷さんのお話。高層建築を縫い進むような展開は、時折、落雷のような体験が楔を打っていた。轟を合図に、個を積み重ねてピカピカした建築が変容し、ニュルリと折り返すように、物語を食道のような内外の際へ潜り込ませていた。講演後の哲学対話では、生命や機械への問いが生まれ謎が残った。しかし、今、その問いを振り返れば、謎はその時と全く違ったものとなっている。つまり、問いが問いを生む『つばめの学校』での体験の集積がある線を超えようとしている。隠した頭は非線形の垣根からお尻としてはみ出ている。鼻歌はとっくに止まっていて、あの日から今日へ、問いはひっそりと根をおろしている。
(ツムジグラフィカ 高橋トオル)
関谷浩史さんのぎゅっとしぼった濃密なジュースのようなお話をたのしく拝聴しました。 テンポよく情報や知識を浴びるのはやはり心地のよいものです。 現代的ビッグデータに対して古地図から見えることを対置させ思考する、という発想はとても興味深いものでした。 隈研吾の『負ける建築』的な環境的文脈、さらには中沢新一の『アースダイバー』的な地形的文脈という空間性と時間性から文脈を抽出し、建築の手がかりとしていく、という手法は、あらゆる創作についてのヒントを与えてくれます。 「芸術的センスゼロ」という自己認識からの「膨大なパターン認識(『新建築』のバックナンバーを読みあさる)とその組み合わせ」による対応という経験も、先天的なセンスという固定概念からぼくらを自由にしてくれます。 ふつうに授業を聞いてみたい。そんなふうに思わせてくれる時間でした。
(ツバメコーヒー店主 田中辰幸)
渡辺さんは、縁結びの神様だと思う。講師の関谷さんに沢山の刺激をいただきました。ご参加された皆さんとの再会や新しい出会いをとても嬉しく思いました。つばめの学校で好奇心を刺激され、読みたい本が次々とやってくる。今まで生きてきた中でこんな事態が無かった私は、今どのように本を読み、どのように知識を扱ったら良いのか悩んでいます。衝撃的なことに出会うと絶対の答えのように思い、自分で考えることをやめてしまうような気もしています。知識とは何か謎は深まるばかりです。
(つばめの学校 深海寛子)