活動報告

つばめの学校 H29年度 始業式 6・17 感想レポート

2018.02.14  by

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「私たちにとって学びとは」というテーマの座談会、64歳になる今日まで真剣に学びとは何かなど向き合ってこなかったのであらためて「学び」の本質を考えるいい機会になりました。皆さんの多彩な想いがとても新鮮、大学教員の阿部ふく子さんからの「小中高となにも学んでこなかった」という言葉が印象的でした。次に会場の皆さんも一緒になった哲学対話は初めての経験でしたが参加のデザインとして、共感や出会いの場としてとても有効な手法と感銘しました。いろいろな局面で取り入れていきたいですね。懇親会でも結婚とは、進化とは、障害とは、脳と身体、ストレス、等々の話題で大盛況、悩み多きピュアな若者たちとの熱い語り合いはすごく刺激的、参加の皆さんとの出会いに感謝、大いに楽しく学ばせていただきました。
(渡辺スクールコーディネーター 渡辺斉)

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「学び」についての哲学対話では、「学びと学びでないものの違いとは?」「学びと自覚していない学びっどんなもの?」「どうやったら浮くことを恐れずに発言できるか?」「おとなと子どもの学びの違いとは?」など、根本的な問いがたくさん出た。学びの意味や目的について、学ぶ当事者たちがこうして自由に問い、考え、語ることのできる場は、意外とないのではないか、少なくとも私自身の学びの経験のなかでは実際なかったと、愕然としつつもそんな実感を抱いた。
まさにこれから始まる学びの「始業式」にふさわしい、この上なく貴重な時間になったと思う。
(新潟大学人文学部准教授 阿部ふく子)

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つばめの学校の始業式。学びをテーマに話し合う場となった。僕にとって「学び」は、”暗がりの森”のような(われを見失うような)怖さを伴うものであるのだけど、この場は暗くない森のようだった。ぽっかりとした森の広場で舞う蝶々のように、複数の見識が問いの周りを回遊した。カメラワークは、森は遠くから見て森であり、蝶々は近くから見て蝶々であるから、森の内部は蝶々の外側であった。そこに立つ時(われを見失いそうになる時)、いつも聞こえる謎の音の正体は、遠くと近くが、外在と内在を入り替えながら『お腹と背中がくっつくぞ(くっつけないぞ)』と鳴らす”怖がらせの音”もしくは”腹ぺこの叫び”である。でも、泣かなくなったから見えたのは、この木なんの木気になる木が、ズームアウトし(暗くない)森ができていく様だった。
(ツムジグラフィカ 高橋トオル)

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始業式では哲学対話を通じて、学びとはなにか?ということについて考えるきっかけをたくさんいただいた。
・学びとはその場で生成されるものというよりもむしろ事後的に見いだされるもの。
・学びとは学ぼうという意識なく、誰からも頼まれていないのに没頭してしまうなにか。
つまり、学びとは(目的が明確な)資格取得や進学のための勉強ではない。(ということにしておく)
学びとはただただおもしろきものであり、その場では役に立つとまったく思われないもの。
それがあとになって急に、あるいはじわじわと、何かの役に立ってしまうもの。
ぼくらはまず学びを得るよりも先に何者かになるのだ。
そして何者かになったきっかけや理由を事後的に「学び」と呼ぶのだと思う
「つばめの学校」はそんな学びの可能性にあふれる場所になる予感がする始業式となった。
(ツバメコーヒー店主 田中辰幸)

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始業式にご参加いただきまして、ありがとうございました。「知ることが増えるよりも、知らないことが増えた方が良い。それは特殊な学びの方法であり、結論がでるわけではないけれど、問いが増えたことでそれぞれ探求していくと思う。」と言う、哲学対話ワークでの阿部さんのお話が印象的でした。5年生の娘は、国語の授業で「生き物は円柱形/本川達雄 」を習っていて、音読してくれるのですが、”チョウは羽で空気をおして飛ぶ”と言う一節があります。チョウのように一瞬一瞬の知らないことを捉えながら進んでいけたらすてきだなー。と思いました。
(つばめの学校 深海寛子)