これまでの授業

つばめの学校準備室 第2回ワーク 7・29 大倉宏さん

2016.07.29  

TG160729-07

好きな人ができたときに、その好きな人のことをもっと知りたいと思ったとする。
とはいうものの、ずうっと話をしつづけるわけにもいかない。
ではどうするか?
その「好きな人が好きなもの」について知ることで、その人のことをもっともっと知れるのではないか、と考える(のはぼくだけではあるまい)
これに「学ぶ」という言葉をあてはめることに違和感があるかもしれないけれど、知りたい気持ちが湧きあがるきっかけとは案外こういうものではないか、とも思う。
そういう意味において、大倉さんが主観的に面白がる人やものについて、とても知りたいと思った。
彼につばめの学校の「顧問」になっていただき、ぼくらの興味の範囲を超えたものとふれあう機会が必要だと思ったのだった。
大倉宏さんは新潟絵屋代表、砂丘館館長であり、新潟という地域を長い時間にわたって、独特の視点で見続けてきた人だ。
ぼくはつばめの学校の開校に際して「学ぶとは何か?」「学校とはどうあるべきか?」ということを燕市という地域という観点を交えつつ語ってほしい、と思っていた。
すると彼は、『花なき薔薇』という本を紐解きながら、相沢直人さんについて話したいと言われた。(人に光を当てて、町を照らす。かのように)
相沢直人さんについては、かつて寺泊にあった相沢美術館をつくった人(あるいは工房アイザワの元会長)として知っている人もいるかもしれない。
近年「燕三条工場の祭典」の開催により、ものづくり、あるいは職人そのものに光が当たり、遠方からこの地域に足を運ぶ人も増えてきている。
その中核的な施設と言っていい燕市産業資料館のウェブサイトに「伝説の名人達の系譜」(http://www.city.tsubame.niigata.jp/shiryou/honkan_keihutop.html)と称するページがある。
そのページで相沢直人/燕産業資料保存会として、彼が見事な解説を寄せている。
事業を営みながら、アートと産業に精通する相沢直人さんは、まさに燕市における「異邦人」であり、アートとものづくりを結びつける志向性のきっかけとしてもっと知られるべきだろう。
彼がまいた種は、大倉さんを含む少なからぬ人たちに育まれ、近年花を咲かせつつある。
授業がおわったときに、ぼんやりとそんな絵が見えたのだった。

※『花なき薔薇』は相沢さんが空いた事務所の一角に開設した画廊の画廊案内を集めた文章群により構成されている。
個展ごとに作家の紹介や展示の解説をする画廊案内に、燕市の市政(主に批判的なもの)にまつわる意見をつらつらと書き連ねてしまうことのおもしろさたるやこの上ない。

(田中 辰幸)