活動報告

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対話の対話ーメタ哲学対話をやってみよう 12・13 感想レポート

2018.03.10  by

 

アートボード 19


講師:阿部ふく子さん
新潟市生まれ。新潟大学卒業後、東北大学大学院博士後期課程修了。日本学術振興会特別研究員、東京大学特任研究員を経て2016年より新潟大学人文学部准教授。専門は近代ドイツ哲学、哲学教育。哲学プラクティスの活動に関心があり、地域のさまざまな人々や小学校と連携して哲学対話を推進している。


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つばめの学校で、哲学対話の意味や可能性について対話をしながら考え深めてみる「メタ哲学対話」の場が実現したことは、哲学対話担当の私にとって一つの大きな成果だった。「よいファシリテーションとは何か?」「哲学対話を生活の中で使うには?」「問いつづける/応えつづけることは可能か?」などの問いが挙がり、哲学対話そのものに対する各自の所感や疑問も含めて多様な言葉が相互に紡がれ、つばめの学校という〈考える主体〉が形となって立ち現れたような気がした。哲学対話を継続して行うコミュニティにおいてメタ哲学対話を導入することは、さらなる対話の洗練につながる。対話してみなければわからない未知の思考のプロセスを楽しみ、共有すること、そして可能ならばそんな「探究の共同体」をすべての人がファシリテートできるといい。「美しいシュートではなく次の言葉を生むきっかけの美しいパスを出せる、言語=思考の玄人になること」。田中さんでなければ表現できないこの言葉が、メタ哲学対話で聞けてよかった。
(新潟大学人文学部准教授 阿部ふく子)

 

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哲学対話というゲームのルールについて(ぼくなりに)説明しよう。 これは言語というボールをつかったサッカーのようなゲームを想像してみてほしい。 ただし、みんなを黙らせてしまうような結論を言ってはいけない。 要するに、シュートたくさん決めたほうが勝ちというゲームではない。 つまり、次の問いを生むきっかけを与える言葉(パス)の美しさを競うのだ。 シュートを決めてゲームがストップするよりも、ずっとやりとりというパスが続くことこそが望まれる。 そう、シュートを決めることよりも、美しいパスが出せることのほうがかっこいいのだ。 結論を出すために対話や会議をしていくビジネスの世界と真逆の世界がここにある。 あえて言えば、ビジネスとしては無価値であり、無価値であるがゆえに価値がある。 真逆といえば、自分のわからなさを明確に言葉にできることがかっこいい世界でもあるかもしれない。 わからない人間はバカであるのではなく、バカに気づいているのはむしろバカではないのである。 わからなさは、問いをつくりだす燃料になるし、世界を知れば知るほど、わからない世界が広がっていくのが「知る」ことにまつわる有意義な矛盾だろう。 ぼくらは、ビジネス的で合理的な世界と、哲学対話的で非合理な世界を往復することで、二元論を超えて日々の生活を豊かに止揚していく必要があるのではないだろうか。

(ツバメコーヒー店主 田中辰幸)

”身につまされる”ということは、それだけでも価値のあることのように思われている。しかし、今回”身につまされる”ことの奥にある隠し扉を見つけたように思う。私たちがホロコースト文学に触れたり、いじめ問題を考える時には、その隠し扉の奥へと進んで行く必要がある。その事を、阿部さんは”離陸”と言う言葉で表現していた。”離陸”とはかなりの訓練が必要に思う。”離陸”はゴールではなく、あくまでスタート。アンネの日記、夜と霧、日本であれば苦海浄土だろうか。どの本も身につまされて終わってしまう私は、スタートラインにも立てていない。哲学対話を哲学対話するメタ哲学、今回の体験を通してメタ世界への憧れは強く、私もいつかそこへ行ってみたい。
(つばめの学校 深海寛子)